このワインツアーの企画は、プロデューサー及び通訳のTさん夫妻。Tさんはフランス、スイスで留学及び駐在を長く経験され、二人ともフランス語が堪能であるばかりではなく、フランスの文化、歴史、地理にも造詣が深く、また高度な専門知識を必要とするワイナリーでの説明をはじめ、ツアー全体の通訳をして頂いた。

 次に都内でワイン・レストランとソムリエ学校を営まれているワイン・ぶどう総合講師のWさん夫妻。実は私たち夫婦を除いて、今回のツアー・メンバーの殆どがこのWソムリエ学校の卒業生で、ソムリエの資格をそれぞれ持たれ、ワインはもちろん、チーズ、フランス料理等に造詣が深い人(若い女性)たちばかりであった。

 そしてこのワインツアーに、私たち夫婦が参加するきっかけとなったSさん(ツアー総合顧問)である。Sさんは都内でフランス・ワイン専門の輸入販売会社会長である。Sさんと私たち夫婦の関わりのきっかけは、消費生活アドバイザーの勉強会の幹事で、“ワイン倶楽部”の幹事でもあるYさんの紹介で、2ヶ月に一度の割合で開催される、原宿のイタリアン・レストランでの“ワイン倶楽部”での出会いだった。Sさんは“ワイン倶楽部”の主要講師メンバーであると共にフランス・ワインの提供者でもある。
 
 今回はSさんが取引されているボルドー地方、ブルゴーニュ地方、シャブリ村、シャンパーニュ地方にあるワイナリーの訪問を中心に企画されたもので、まさしく“手づくりの”と言う言葉がぴったりのオリジナルなツアーであった。

 
<ボルドー赤ワインと料理>
 
 フランス到着最初のホテルはボルドーの東に位置するワインの産地、サンテ・ミリオンという村で、石畳の坂道の中腹辺りにあった。時差の影響もあり朝早く目が覚めたので、未だあたりが薄暗い早朝に小さな美しい街を散歩した。このサンテ・ミリオンは古代ローマ時代から存在し、古代ローマ人のモザイクにも描かれたそうである。街のつくりから城塞都市(村)であることがわかるし、角が丸まった石畳の道を歩いていると長い歴史を感じさせるものがあった。

朝食後、再び街を皆で歩きまわり、その街をいつのまにか通り抜けブドウ畑に出た。フランスに着いて初めて見るブドウ畑で、今まで想像していた以上に何処までも続く広大なブドウ畑に、言葉に表せないほどの驚きとショックのようなものを感じた。ブドウ畑ではソムリエのWさんの講義を聞きながら、ほとんどの人がメモを熱心に取っていた。さらに、このような光景は一週間のツアーの間、ずっと続いていた。まさしく、典型的なフィールドワークであった。

 
 ボルドーの二日目と三日目はシャトーに宿泊した。ここはSさんが輸入しているシャトー・メイルのワイナリーでもある。Sさんは“ワイン倶楽部”でシャトー・メイルの説明をする時に、ここの女主人がフランスの女優カトリーヌ・ドヌーブに似ていると何度となく話していたことが記憶に残っていた。夜バスを降りてシャトー・メイルに到着した時、出迎えてくれた女主人を一目見た時、Sさんの言葉が蘇った。翌朝、そのことをSさんに確かめた時、Sさんうなずきながらニヤリと微笑まれた。

二日目の夜、シャトー・メイル夫妻主宰のディナー・パーティーが催され、女性メンバーは美しくドレスを身にまとい、テーブルについていた。私たちのテーブルに女主人がワインを注ぎに回って来た時に、「今までにあなたは誰か女優さんに似ていると言われたことはありませんか?」と尋ねてもらったら、恥ずかしそうに手でさえぎり、「そんなことはありません」と言った。その様子を見ていた夫君がいきなり、「女優?」、「カトリーヌ・ドヌーブ!」と叫ぶような感じで言った。すると女主人もにっこり微笑んで、「カトリーヌ・ドヌーブは私の肩までぐらいの小柄な方ですよ。」とジェスチャーを混ぜながら言った時の姿がとても印象的であった。

 
 ボルドーの辛口で重い赤ワインは日本でも有名すぎるほど有名であるが、シャトー・メイルを含めいくつか訪れたワイナリーでのテスティングでも、後に訪れたブルゴーニュに比べれば、やはり辛口で重く、色も味も濃い赤ワインであった。また、この辛口で濃い赤ワインに合ったボルドーの料理も素晴らしいもので、特に世界三大珍味の一つといわれるフォアグラや鴨料理に合った赤ワインの味はいつまで記憶に残るものであった。

 
<ブルゴーニュ及びシャブリの白ワインとシャトー>
 
 四日目の朝、ボルドーから約450km離れたブルゴーニュ地方に向かった。地理的にはボルドーの北東、パリの南西に位置する。バスは高速道路と一般道路を走り、渋滞にも巻き込まれ12時間ぐらいかけて夜10時ごろ、ディジョンという町のシャトー・ソーロンに到着した。シャトー内のレストランで深夜1時頃まで、バスの長旅の疲れも忘れて会話を弾ませ、ブルゴーニュ・ワインを飲みながら食事をした。

 
 ブルゴーニュ地方はボルドーに比べ北に位置するため気温も低いようだ。ここは赤ワインと白ワインを生産している。ボルドーでもワイナリーの規模は大小さまざまであったが、ボルドーに比べるとこの地方のワイナリーは小規模なところが多いようである。

ブルゴーニュでのテスティングは何処のワイナリーでも赤ワインと白ワインの両方であった。特に赤ワインはボルドーの濃い色と味に比べて、透き通るような美しい赤ワインであった。逆に白ワインはとろりとしたような濃い感じがするものであった。自分自身はワインに対してまだまだ造詣が浅くわからないのであるが、野生の果実や香料、動物性の香りを封じ込めているそうである。ワイナリーでの説明の中でも、レモンとかバニラの風味がするなどの会話が交わされていた。

また、ブルゴーニュの料理はボルドーに比べて味も形もボリュームもかなり繊細な感じで、これこそがフランス料理という上品な感じがした。また料理に合わせたワインの味も格別であった。これはこの土地の料理に合ったワインを意識的に生産しているのか、或いはワインに合わせて料理を作っているのだろうか?

ブルゴーニュの一日目の夕方、特級のブドウ園で最も洗練されているとされる、入り口に十字架(古代ローマ時代の廃墟)のある世界的に有名なロマノ・コンティのブドウ園を見学することができた。ここで生産されたワインは日本にも輸入され、桁外れに高い値段が付けられている。

 
ブルゴーニュの二日目の夕方、Sさんが最も力を入れている中のひとつであるシャブリ村のワイナリーを訪問した。ここはかなり大規模なワイナリーであり、斜面が特徴的なブドウ園の敷地も18
0haあり(ゴルフ場二つ分の広さ)、バスで延々と走ってもなかなか終わらないほどの広さであった。

シャブリのブドウ園、1570年に出来た風格のあるシャトーの見学、石灰岩をくり抜いた自然温度調節としての地下貯蔵庫(夏は外気が42.5℃でも14℃に保たれる、特に‘85年の冬は外気温度―30℃だったが12℃に保たれていたそうである。)でのオーナーを交えたテスティングと会話の楽しいひと時を神秘的な場所で過ごした。

夜はホテルでオーナー主催のディナーが開催され、女性たちは再びそれぞれ美しいドレスに着替えてディナーの席に着き、かなりリラックスした雰囲気の中で、美味しい食事とシャブリ・ワインをご馳走になった。オーナーはゴッドファーザーのような雰囲気を持った人柄で、女性たちも純白の髭をはやした大柄な老オーナーに対して好感と尊敬を持って接していたようであった。


 
<シャンパーニュ地方のスパークリング・ワインの神秘>

ブルゴーニュに三泊してバスはシャンパーニュへと向かった。シャンパーニュはパリ近郊の都市ランスを中心にブルゴーニュのさらに北に位置する地方である。(パリの北東)

シャンパーニュは誰でも知っているシャンパンの名で有名なスパークリング・ワインの生産地で、起伏のなだらかなブドウ畑が延々と続き、白ぶどうのシャルドネやラズベリーの香りがするピノ・ノワールを生産している。そのブドウ畑に囲まれるように小さな村が点在し、その中にワイナリーがいくつかあるメルヘンの世界に来たような美しい家が立ち並んでいた。

  
 シャンパーニュでのワイナリーは主に、パリ近郊ランスのシャトーの中にある三ツ星レストランの日本人シェフであるMさんに案内して頂いた。Mさんはフランス在住歴25年の誇れる日本人の一人である。しかもMさんは私と同郷の長崎県の出身でもあった。

彼はフランスでシェフとして最も成功した日本人の一人であり、日本におけるフランス料理関係者の間では名前が広く知れ渡っているそうである。にもかかわらず彼は、それに奢れることなくフランスで料理を勉強したい若者に対して、修業の場であるレストランを紹介するなど面倒を見ているそうである。またSさんに対しては、シャンパーニュ地方の上質なワインやワイナリーを紹介するなどアドバイザーとしての役割も果たされている。今回のツアーで、かくも誇り高いフランスの地で25年もの間シェフとして頑張っているMさんに、このようにして出会えたことは大きな収穫であったと思う。

 
 フランス・ワインツアーの最後を飾るイベントとして、Mさんが働くシャトーのレストランで豪華としか言い様のないランチ・パーティーが催された。女性たちはここでもパーティ・ドレスに身を包み、緊張感もほぐれまぶしいほど美しく輝きを放っていた。

フルコースのメニューはもちろんMさんによるアレンジである。実は前夜、宿泊先のレストランで私たちと一緒に食事をしたのである。その時、彼は私たちが一週間のツアーで本場の料理を食べ続け、ある程度飽きて来たことをじっくりと観察していたと思われる。

しかし、さすがにMさんはフランス料理のプロフェッショナルである。私たちがいくらフランス料理に飽きていたからといって、決して日本的にアレンジしようなどと妥協しなかったのである。表現は難しいが、私たちが今求めているものを推し量って、純粋なフランス料理で勝負して来たのであった。そして結果的に勝負は私たちの完敗であった。今まで一週間ずっとフランス料理を食べ続けて来たにも関わらず、今初めてフランス料理を口にするような感覚になり、Mさんのアレンジしたフルコースの妙味にワインと共に酔いしれてしまったのであった。


 
<エピローグ>

今まで、フランスといえばパリ、それも凱旋門、セーヌ、エッフル塔、ルーブル及びオルセー美術館など、さらにはプロヴァンス地方も含め、TV番組で良く紹介されているが、ボルドーやブルゴーニュ、シャンパーニュなどの名前は知ってはいたものの、実際にどのような場所なのかはほとんど知らなかった。

しかし、これらの地方の延々と続く広大なブドウ畑や公園のように美しい農場や家屋を見ると、フランスが豊かな国であることを強く感じさせられた。あれだけ広大で殆どが平野である国土でありながら、人口はわずかに5,600万人なのである。

今回のフランス・ワインツアーで初めてワイン生産者の顔、生産地及びワイナリーを直接、自分の目で見たことによって、今まで以上にワインに対する関心が深まったことと、ワインについて少し勉強してみようかなという動機付けが得られたような気がする。今までは、ワインについての話を聞いても、また本を読んでもあまり理解できなかったが、現地を実際に見たことにより、同じ本に目を通しても確実に理解の度合いが深まったような気がする。

もし今度、フランスのワインの産地を旅行する機会があったら、事前にワインの基本知識、フランスの文化、歴史、地理を勉強し、またカタコトで農村の人々とコミュニケーションが出来るようにフランス語の勉強もしておきたいと思った。

 ただし、今回のワインツアーを消費生活アドバイザーの視点で見たとき、決して全てを手放しで評価することは出来なかった。確かに日本のワイナリー見学は、内部の写真撮影は禁止されているとこもあり、それに比べると今回訪れたフランスのワイナリーはどこもOKでオープンな雰囲気であったが、私たちの眼に見えないブラックボックスも存在していると思われる。それは時間軸で見たとき、一週間という限られた期間であり、ワインの生産過程では一瞬にも満たない断片的な時間を覗き込んだに過ぎないのであった。

例をあげると、ぶどうを収穫するまでの間の農薬の散布量と除去の問題、ワインを日本に輸出するために船積み(或いは空輸)してから消費者に渡るまでの商品管理の方法、今回訪問したワイナリーはいずれもSさんが輸入販売されている上質なワインで、ブドウ畑もどれも上質で、製造現場もきわめて清潔できちんと管理されていたが、これらのワインの日本での価格は決して安いものではない部類に入る。しかし、日本ではフランス・ワインのラベルが貼られている1000円以下のワインもディスカウント・ショップやスーパー・マーケットで多く売られ、また多くの消費者に愛飲されている。このような廉価なフランス・ワインのブドウ畑はどんなところにあり、どのように収穫され、どのような製造方法、商品管理がされているのだろうかという、あらたな疑問を抱いた今回のフランス・ワインツアーでもあった。

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フランスの農村を歩く <ワインの生産地を訪ねて>

                     田中慶篤

<プロローグ>
10月下旬、晩秋の夕闇迫る頃、パリ・ドゴール空港から乗り継いだエール・フランス機は、南下すること1時間、ボルドー空港に到着した。ここボルドー空港では成田空港から行動を共にした私たち夫婦を含む9人、1週間前からスイス、フランスのローヌ地方、プロヴァンス地方、コートダジュール等のワイナリーをまわって来た5人、またセルビア及びロンドンから合流した3人の17人による旅の始まりである。
 
 荷物をピックアップしてから空港を出ると、パリから遥々ボルドーまで来てもらった観光バスが待っていた。ボルドー東部サンテ・ミリオン村にあるホテルへと向かった。バスの中では、先発組と私たち後発組がお互いに旅の疲れを労う会話がごく自然に交わされていた。私たちも会話の中に自然に入ることができた。何故かというと、17人のメンバーは、2週間前に都内のワイン・レストランで今回のツアーの説明があった時、顔合わせをしたことによる。その時はイタリア料理を肴にワインをたっぷり飲みながらの説明だったので、ワインのなせる妙味だろうか?既に、この場でお互いにかなり打ち溶け合っていたような気がする。