食品スーパーで働く私の話です。
店の近所に住む一人暮らしのおばあちゃん。店ができる前からオープンするのを楽しみにしててくれて店がオープンすると1日何回も買い物に来てくれた。
オープンの記念に来店客に配った布のお買い物袋をいつも持ってきてシワシワになるまで使ってくれた。
来るたびに売場の人やレジの人に「忙しいねぇ」「えい天気やねぇ」と話しかけ、「今日はおいしそうな魚があった」「にんじんが安いねぇ」といつもニコニコ喜んで買い物してくれた。
私は店がオープンする1年前に実の祖母を亡くしていた。私の祖母は自分のことよりも常に家族のことを心配するようなところがあって、少しでも帰りが遅いと薄暗い中、門のところで私の帰りを待っているような人だった。
そのおばあちゃんはなぜか私の祖母を思い出させるようなところがあった。
「卵をいっぱいもろうたき。あんたにあげよう」って卵をくれたり、きれいな紙で作った置物を「店に飾って」と持って来てくれたり。
荷物がたくさんの時、自宅まで運んであげると「ありがとうありがとう」ってニコニコしてくれた。
お客様なので「おばあちゃん」と呼びかけたことはなかったけど、私にとっても店のみんなにとっても近所の「おばあちゃん」だった。
5年くらい経ったころおばあちゃんの姿が見えなくなった。
病院に入院していることがわかり、だれかれとなく折鶴を折り色紙に寄せ書きをしお見舞いに行った。
「おばあちゃん。早く良くなってまたお店に来てね」店のみんなの願いだった。
でも、おばあちゃんの姿はなかなか店に戻ってこない。
ある日、出勤するとおばあちゃんが亡くなったと聞かされた。
でも、そのままレジの仕事に入らないといけない。
「いらっしゃいませ」と振り向くとおばあちゃんがニコニコ笑顔でシワシワの袋を持って並んでいるような気がして涙が出てくる。でも、仕事をしないといけない。
私はそのとき気づいた。
「今日会えた人に明日も会えるとは限らないんだ」
涙をこらえて笑顔でレジをした。
おばあちゃんのお葬式の日、店のみんなも仕事の手を止めて作業着のままお見送りに行った。
天涯孤独だったというおばあちゃんは近所の人たちと店の従業員に見送られた。
私はおばあちゃんの顔を見て初めて「おばあちゃん」と話し掛けた。
涙が止まらない。
でも、言っておかないといけないことがある。
「おばあちゃん。ありがとう」って言った。
「あんた。泣かれんぞね」って言っていたと思う。
いまでも、店のどこかにおばあちゃんがいて見守ってくれているような気がする。
仕事でしんどい時、ふと思い出す。そしてがんばる力が湧いてくる。
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