宮澤 洋子
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立春も過ぎ、街を歩くと雛人形をみかける季節になりました。三月三日の節句は、
もともと中国の上巳節といい、三月の最初の巳の日に、川や水辺で身体を清め
災いを洗い流した厄払からきています。今のように三日になったのは文武天皇
の頃(672年頃)といわれています。自分の身にふりかかる厄を人間の形をした
「ひとがた」に移して川に流す「流し雛」などは今でも各地に残っています。
このように厄・災いを払うという意味の節句が、雛あそび・雛まつりと呼ばれ女の
子の節句として盛んに行われるようになったのは江戸時代からです。数々の人形
師が腕をふるい雛人形も寛永・享保・次郎佐衛門・有職・古今・芥子などさまざま
に特徴をもつものが現れました。去年のことですが、長野市近郊にある豪商の館
「田中本家博物館」の雛人形展を見に行きました。享保年間に開業した商人の、
代々に渡る雛人形が古い文書とともに展示されています。その中の一つはその昔
わざわざ日本橋の人形店に注文し作らせたもので、今年届いたものかと思うほど、
美しく保管されていました。片付けるのに飾る手間の倍は時間がかかるでしょうに、
丁寧に扱われさぞ人形達も嬉しがっていることだろうと思います。
これからぜひ行ってみたいものに、伊豆稲取の「つるし飾り」があります。稲取では
雛人形とともに、天井からさまざまな縁起物の飾りをつるして女の子の幸せを願い
ます。昭和30年頃までは初節句というとお祝いに近所の方達が集まって飾り物を
縫い、集めてご祝儀に持っていったといいます。飾り物は「桃の実」「這子」「巾
着」
「香袋」「唐辛子」「草履」などなど。一針一針祝福の心をこめて絹布でお手玉くら
いの大きさに縫い上げられ、紐につながれてさげられています。春の磯風に吹か
れてゆれる「つるし飾り」にはほほえましい愛情が詰まっていることでしょう。
会ってみたいお雛さまを決めて、毎年各地を訪ねてみたいと思います。不思議と
お顔には「凛とした」「モダンな」「愛らしい」「たおやかな」「怜悧な」とその持
ち主
の女性とどこか通じるものがあり、ずっと大切に愛されたお人形はなおさら良い
お顔で迎えてくれます。昔の暦では三月三日は大潮で江戸では潮干狩りが始ま
る日でもありました。初物の蛤を供えて先人たちはお祝いをしたのでしょうか。
一対の男女の人形を飾り自然への畏敬と人間同士の深い愛情・思いやり・繁栄
をこめるのは世界でも日本だけであるでしょう。時代の移り変わりは、これらの
カップルの目にどのように映っているのでしょうか。今さらながら奥深い「雛まつ
り」
だなと感じます。 |
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