非効率な読書会
日野 春代
26,7年続いている読書会の話です。
子どもがまだ3,4歳の頃、近所の子育て仲間が集まり絵本を読み聞かせる「絵本の
会」が出来た。月1回友人宅に集まりそれぞれ子どもの好きな絵本を持ち寄り読み聞
かせ、親子ともども交流しようというものである。がそれだけではと、「良い絵本て
何だろう」という単純な疑問から母親だけで勉強する時間も設けた。そうこうするう
ち子どもが小学校に入学し、途端われわれ専業主婦集団は「女性の自立って何だろ
う」そこで今度は女性問題を勉強しようと言うことになった。決して一人では読まな
い数々の本を定番といわれるものから主婦の体験記までetc.・・・。3、4年もすると
行き詰まり女性問題や人権問題を更に追及するグループと「歴史の中の女性たち」を
読むグループに分かれた。もちろん私は後者のグループに。
今から20年くらい前だろうか。日本史の中の女性あり、世界史の中の女性あり、戦
争の中の女性あり、有名女性あり、無名の女性あり、教材は降る星のごとくである。
続けるうち誰言うとなく「旧約聖書」と「ギリシャ神話」を読んだ方が西洋の文化や
美術、絵画、小説の理解が深まるのではないか・・・と。それではそれにしようと、
一人では手にも取らない代物を4年ほどかけて読む寄り道もした。確かにこれは良い
試みであった。
これほどトラブルも無く続いているのは「何だろう」と考えてみた。システムは
至って単純。毎回レポーターが担当する部分の歴史的背景や社会状況なども独断と偏
見で調べてきてにわか先生に変身。他のメンバーは「講義」を承るそれだけのことで
ある。メンバーは8名だから年1回くらい当番が回ってくる。当番月は資料を調べた
り、レポートを書いたりとかなりの作業ではあるが終わればホッとする。後はのんき
に読んで行くだけである。レポーターが翌月自宅の提供とお茶当番を担当する。決ま
り事はこの二つだけである。本の選定も当番のしたいものだったり相談したり全く柔
軟対応である。
読書会本来の楽しみのほかに種々のお楽しみもある。お茶の時間にも歴史がある。
子どもが幼ない頃は午前中おやつだけ、小学校に上がると今度は当番がお昼の用意。
これは各家庭の自慢料理を教えあい、子育て中の良い息抜きとなった。そして今は子
供も独立しゆっくり午後のお茶となった。話題も歳とともに変化し、夫の定年、老後
の話、旅行や趣味に移ってきた。メンバーも多士済々、個性もそれぞれだが、読書会
が自分にとって居心地の良い会であることは間違いないようだ。「単純なシステム」
と「大事にしたい」というそれぞれの気持ちが良い環境を作っているのだと思う。
残念なことは寄る年波には勝てずすぐに忘れてしまうことである。しかし過去へ、
異国へ、見知らぬ土地へと居ながらにして飛んでいけるのである。有形無形の形で、
生活に潤いを与えてくれているのは確かである。
主婦の限りなく非効率な会もまだまだ続くことだろう。
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