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鶴見線で歴史をたどる

柄澤 明久



以前に鶴見川の自然観察を紹介しましたが、今回は鶴見線に乗っての社会科の勉強です。 鶴見線はJR鶴見駅から海岸方面に延びた全長10km足らずのローカル線ですが、 その駅名には明治の産業の発達に貢献した実業家たちの名前が残っています。

鶴見駅から4つ目に浅野という駅があります。これは浅野総一郎にちなんだ駅名です。浅野総一郎は明治の実業家で、 セメント王と呼ばれていますが、石炭・石油産業、鉄鋼業、建設業など産業のインフラを支えた事業を起こしました。 中でも横浜と川崎の間の埋め立て地の造成事業は彼の心血をそそいだ事業で、 今日の京浜工業地帯を生み出す原動力となりました。鶴見線はその埋立地を走っているわけです。

浅野駅の隣に安善駅があります。妙な名前ですが、これは安田善次郎にちなんでいます。彼は安田財閥の創始者で、 金融業で成功しました。浅野総一郎の埋め立て事業を資金面でバックアップしたのです。 東大の安田講堂は彼の寄付によるものです。前衛芸術家のオノ・ヨーコはひ孫にあたります。

鶴見線は支線がありますが、そのひとつ大川支線の終点が大川駅です。これは大川平三郎にちなんでいます。 彼は渋沢栄一の義理の甥にあたる人で、製紙業で成功して製紙王とよばれましたが、その他の多くの事業にもかかわっています。 浅野総一郎とは仲がよかったといわれています。

この浅野・安田・大川の3人は出自も事業分野も異なっていますが、共通しているのは貧しい家に生まれ、 江戸から明治への激動期に、自らの努力と才覚で事業に成功したことです。 そして私心がなく国家のために尽くすという価値観でも共通していました。したがってそれぞれ事業家として活躍しながら、 埋め立て造成という国家的な事業に互いに協力しあえたのだと思います。

鶴見線は3両連結の小さな編成、一部には都会では珍しい単線、短い駅の間隔、 線路には草が生えているというローカル色あふれた鉄道ですが、 このような明治の大実業家の名前が残っているという由緒ある路線です。

鶴見線は他にも特徴ある駅があります。海芝浦駅は支線の終点ですがホームが海岸になっています。 そして電機メーカの敷地内にあるので、一般客は駅から出ることができないという面白い駅です。 海の眺めがよく駅内に公園があるので、ここで時間をすごして引き返しの電車で帰る人が多いようです。

国道駅は第一京浜つまり国道15号線の上にあります。 駅舎が古い建物でレトロ色あふれており映画の撮影などに使われることも多いようです。昭和駅は元号とは関係なく、 駅前の企業の名前からとったそうですが、平成に改元したときには多くの人がこの駅に訪れたそうです。