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人への対応における時間、空間のについて

島村 治雄



小生は、松江観光大使の役割を頂戴しており、その名刺を皆様に配って松江への観光旅行を勧めています。 出雲地方はご承知のとおり、古代、神話の時代から栄えていたところで、今でも出雲大社宮司(千家氏、 と北島氏が世襲しています)は伊勢神宮宮司と対等といわれています。松江は堀尾茂助吉晴によって開府され、 昨年でちょうど400年を迎える城下町で、明治時代にラフカディオ・ハーンが「知られざる日本の面影」 で描写した松江の情景が今も残っています。つまりこの地方は、古代、近世のにおいがまだ多く残っており、 雲を映す穏やかな湖や、夕景色の神秘さとあいまって、時空を超えた世界に多くの人をいざなっています。

出雲、松江への旅行を終えた方々に感想を聞くと、多くの方が『時間がゆったりと流れている』という言葉を残されます。 半日もずっとラフカディオ・ハーンの旧居で庭を眺めてすごされた方、 宍道湖に沈む夕日を県立美術館先の湖畔で言葉もなく見入っていた方、素戔鳴尊(すさのおのみこと) の奥方である櫛名田姫を祀った八重垣神社(素戔鳴尊が読んだ和歌といわれる、 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣を」からとられた神社)で、占いの紙の上に硬貨をのせて、 池に浮かべて静かに沈むのを眺めながら手を合わせて祈った方(良縁があるとの言い伝えがあります)、 などこもごもの情景とともに、その言葉を伝えていただいています。その理由を私なりに考えていますと、 一つの事実に突き当たりました。これらの風景や、言い伝えが心の奥底を揺らしたこともありますが、 それらの前提には観光客を迎える松江の人々の挙措にあるのではないかということです。

松江藩中興の祖である松平治郷(1751〜1818、号を不昧といい不昧公の名で今も松江の人々に敬愛されています) が茶の道を究め、不昧流という表千家を土台にした流派を興し、さらに藩内の武家、町人を問わず、千利休の心である、 形にとらわれない簡素な茶の心を教えました。そのため、松江藩では茶道が盛んになり、生活の中に取り込まれて、藩内にお茶、 和菓子、作陶などの産業も定着しました。治郷による財政改革は朝日丹後という家老を重用して、治水、 干拓事業による農業改革で、朝鮮人参、花卉の牡丹など特産品の奨励によるものですが、 茶道という文化により経済の安定化を図ったという考えもできると思います。 文化を奨励して経済の安定をもたらしたことでは特筆してよいのではないかと考えますがこの論議は別稿に譲りたいと思います。 治郷(不昧)が江戸時代の茶道界のなかで傑作といわれる『古今名物類聚』や『雲集蔵帳』などを書いていることからして、 お殿様芸でなく、茶道を極めた人物としてもっと評価されてよいと思います。

武士から庶民の間にまで定着した茶の文化は、脈々と現代にまで引き継がれています。不昧公好み、 といわれる茶碗や茶道具は今でも珍重されていますし、和菓子でも、中村汀女氏のお好きだった「朝汐」や殿様の御留め菓子の 「姫小袖」などが今でも売れています。小生の記憶している地方新聞の写真のなかに、 秋の日差しを浴び柿の実っている農家の庭で、郵便配達のお年寄りが、 帽子を脱いで縁側に腰掛けて抹茶を振舞われている光景がありました。郵便配達の方にも時間になればお茶もてなす風習が、 その写真から、ほのぼのと伝えられて今でも心に残っています。小生の実家でも、父母存命の時は朝十時、 昼三時のお茶には抹茶が出て、和菓子を食べ、抹茶を二服ないし三服飲み、話をしていました。 来客があれば、何はともあれ、 抹茶が出ます。小生はこの人との対応に抹茶を出してもてなすことが、時間の流れを緩やかにしている理由と考えています。 抹茶を点て、茶碗を相手に出し、相手はそれを受けて手に持ち、茶碗を回して三ふく半で飲み、飲み口を軽く指で拭いて、 お礼を言って茶碗を主人に返す、というこの動作の中に、必要な間が含まれています。これが煎茶であれば、 相手は話しながら茶をすすることもできて、間という意味ではほとんど取る必要もないと思います。 この抹茶の動作から来る時間が、松江の人々が人に対応する時間のゆるやかさの基となって出てくるのではないか、 と考えるのです。

古い記憶ですが、父の法事で帰郷した際に、お寺で母が梵妻(だいこく)さんと挨拶をしたときに、 双方3分くらいゆるやかに挨拶の言葉を交わしながらお辞儀をしているのを、 大阪出身の兄嫁が目を丸くして見ていたことがありました。それだけ長い挨拶を体験したことがなかったのでしょう。 この間(ま)は当然話し言葉にも影響します。多くは母音を伸ばしたりして、ゆったりとした話し方ですので、 当然時間もかかります。『ありません』というところ『あーませんですが』というように。挨拶から時間がかかるのですから、 応対の流れも、自然に他の地域より、長くなるのことは当然と思います。しかし、 それでもよそから来た受け手の人がいらいらしないのは、声や態度に温かさが表れているからでしょう。

一方、距離の間、についても同じことが言えます。茶道では主人とお客の間が離れており、 抹茶を点てた茶碗は両者の間の畳におかれます。お客はにじり寄って茶碗を取り、自席に下がってお茶を飲みます。 松江では正式の茶席ほど間を空けませんが、それでも畳の上に茶碗をおく作法ですので、普通より空間は開いています。 挨拶のお辞儀もその感覚があるので、少し離れ気味です。距離の間も丁寧さの表現に思います。

アメリカ人の挨拶は握手であり、さらに親しい間ではhugですので、この距離はお辞儀で挨拶をする日本人以上に近いのですが、 言葉の上で使う丁寧語はWould you…..、とか Could you…..を使っています。 我々はそれを単に丁寧さを表す意味で使うと考えていますが、その真意は現在から見て、 過去形を使うことによって自分より距離を離すことになり、それで丁寧さを伝えているのです。 このように若干距離を置くことが、より丁寧さを伝える意味があることがお分かりになるでしょう。そういえば昔、 あわてものの上司が、同じような得意先の人と、パーティーで会ってあわててお辞儀をして、頭と頭がぶつかって、 二人とも頭を抱えながら笑っていた記憶があります。日本人ではお辞儀のできる距離が、 すくなくとも適切な対応の距離になるでしょう。

松江での時間の間、距離の間、はこのように、お茶の心を基にして、 旅行者の心に穏やかな時間の流れをもたらし心のゆとりをもたらしています。それは、松江という風土、 人のなかで培われたもので、これをそのまま、首都圏にもってくることは不可能です。しかし、 地方がそれぞれ個性を持っていた明治以前には、各地に残るやり方でこの時間と空間の間があったことと思います。 その意味でも、時間、空間を超えて存在している松江でもう一度自分を見つめることに意味があるのではないでしょうか。 それと同時に人間関係について、時間と空間の間が大切であることがお分かりになると思います。落語や漫才では、 間が大切といわれていますが、人間関係にも欠かせないものであり、もっと深く研究する必要があると思います。