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「徳」のある行動

高橋 輝子





私は最近、2つの親切を見ず知らずの人から受けた。
殺伐とした物騒な世の中と表される現代において、とても希な出来事に遭遇したのかも知れないし、 日常的に起こっていることなのかも知れない。
ただ私はその2つの出来事で人間の「徳」について考えさせられた。

まず一つ目の出来事。それは深夜近くの満員電車の中だった。

池袋駅構内はサラリーマンや学生の酔った人たちでごった返していた。
ちなみに私は残業帰りでしらふ。おまけにお腹も空いている。
一刻も早く返りたい面持ちでホームの人混みの中で電車がやってくるのを待っていた。 電車が到着しドアが開くやいなや中に人が流れ込んでいく。
私も押されるがままに奥のドア隅に陣取ることにした。
急行列車で自宅の最寄り駅まで10分。本を読み始めればあっという間についてしまう。その日もそのはずだった。
しかし、出発して2,3分が経過した頃、隣に立っていた40歳ぐらいの酔っ払ったサラリーマンが船を漕ぎ出した。 はじめは小さかった左右の振れも次第に激しさを増していく。しかも私の方に徐々に接近してくるではないか。
逃れようにもスペースがどこにもない。
「いい加減にしてくれぇぇぇ〜!!」と大声で心の中で叫んでみた。
・・が、酔っ払いには知ったこっちゃないという具合で更に迫ってくる。

・・と、そこへ。私と酔っ払いの間を遮るカタチでスッと手が入ってきた。
私の後ろに立っていた50代のやはりサラリーマンの方の手である。
とっさの電車の揺れでドアに手をかざして身体を支えたのだろう。
・・しかし、しばらくしてもその手はそこに置かれたままだった。酔っ払いの頭は、今度は後ろの方の腕に支えられる形になった。 その腕に完全にもたれかかっている。
これは私を間接的に助けてくれたのか。はたまた偶然の体制でそうなったのか。
いずれにせよ、とても自然な時間の流れと空間の中で私はその方に助けられた。
きちんと御礼を言うべきかどうしようか悩んでいるうちに、電車は私の最寄り駅に止まった。
私は軽く会釈をするだけでホームに降り立った。
駅から自宅までの道のり、「もっとちゃんと御礼を言うべきだった」と何度も悔やんだ。

二つ目の出来事は、長野への出張中であった。

駅構内にある喫茶店で私は乗り継ぎ電車を待っていた。
平日の昼間ということもあり人はまばらの店内。そのゆったりとした空気に逆行して、私は電話をかけたり資料を見たり、 かなりせわしなく動いていた。
そんな私の様子を隣に座っていた老夫婦はどんな風に見ていたのであろうか。
ふと、時計に目をやると、乗り継ぎの時間が迫っている。慌てて散乱した資料類を鞄に詰め込み喫茶店を後にした。 乗り継ぎの改札を目前にしたとき、はて?
切符が無いではないか。
周遊券を買っているので結構な額になる。財布の中を見たり、鞄を引っかき回したり、だんだん焦りが増してゆく。
もしかしたらさっきの喫茶店に落としたのかも知れない・・と、再び店内に戻った。
先程の老夫婦もいる。「何かお捜し物ですか?」奥様の方が心配そうに声をかけてくれた。
切符が見つからないことを告げると一緒に近辺を探してくれた。しかし、どこにも見あたらない。
出発の時刻が迫っていたので諦めるしかなかった。今度は走って喫茶店を後にした。

・・・そこへ、一緒に探してくれた奥様が片足を引きずりながら小走りで私に声を掛けているではないか。
「ありましたよ!」。かなりのご年令の上に足が不自由である。それなのにそんなに走って。
私は申し訳なさで一杯になりながらも一言御礼を告げてその場を去った。
もっともっと御礼が言いたかった。

乗り継ぎ電車に間に合った私は、車中、溢れ出てくる「感謝」の気持ちをどうしたらよいか考えていた。 酔っ払いから私を救ってくれた男性も足を引きずって切符を届けてくれた女性もおそらく普段何気ない気持ちから 起こした行動なのかも知れない。
しかしその行動に私は真底感謝した。

プラトン*は、人間の生き方には4つの大切なものがあると言っている。
“四元徳”といわれているもので、一つが知恵、二つ目が正義、三つ目は自制心、そして最後が勇気。 勇気は行動力を意味する。

行動には行動で恩返しするしかない。
徳のある行動は、人間の懐の深さや器の大きさを形成していくものだ。
そんな人が増えれば「世の中、捨てたもんじゃない!」って、もっとたくさん感じることが出来るのだろう。

*プラトン(Platon),( 紀元前427年 - 紀元前347年)は古代ギリシアの哲学者である。
ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師