広川 友美

お昼時、ランチタイムの看板が目に入り、たまには外食もいいかな、なんて思い喫茶店に入りました。
専門学校の近くにあるカフェは、置いてあるのが雑誌ではなく、『ガルシアへの手紙』や『バターはどこへ溶けた?』
といった本が置いてありました。どちらのタイトルも以前に読んだ記憶があり、タイトルは覚えていたので、
注文を待つ間にパラパラとページを開いて見ました。
最初に読んだのは『ガルシアへの手紙』です。学生の時に、話題になって本屋で探したものの、
あまりの薄さに立ち読みで完了してしまい、内容なんてすっかり忘れていました。古典であり、短いので、
タイトルを検索するとネットで簡単に読めます。
内容は、社会に必要とされる人になるために、社会人として当たり前のことが書いてあり、これから社会へ出て行くであろう私に、
この本を推していた教授の顔を思い出したりしていました。
次に『バターはどこへ溶けた?』です。『チーズを求めて』のつもりであった私は、
最初こんな話だったかしら…と思いながら読み進めていました。内容は、夢、希望、
成功の象徴であるバターと追い求めるために手段を選ばないエリートキツネと、バターの味が忘れられなくてキツネに憧れ、
バターを探したネコと、バターはあったらうれしいけどなくても幸せなネコの物語でした。
『バターはどこへ溶けた?』この本は、『チーズを求めて』のパロディ本であり、あまり世間の評価は高くない様子です。
無理な向上心をもつことなく、いまある幸せを大切にすることを説くこの本をここで紹介しようと思ったのは、
バターの味が忘れられず、仲間のネコを残してきたことを後悔して、キツネみたいに上手くバターを見つけられない自分に苛立ち、
ストレスだらけのネコと、私が重なったからだと思います。
バターが何であるかもわからず、子供の頃から少しでも偏差値の高い高校、大学よい就職先をと受験勉強の末、バブル崩壊、
就職はなんとかしたものの、正社員であるだけでよいと思いなさいとアルバイトと同じ作業の繰り返しを、
独りで転勤をくりかえしながら、時間給ではなく、残業なし、
休みなしの年功序列制度のなかの職務能力給という月給給与体制のなかで過ごしてきたがんばりすぎの団塊30代である等身大
の私がいました。
最近は逆に労働力不足からか、初任給の引き上げも行われ、残業や休みのルールも徹底されています。というよりも、
今の20代はもっとしたたかで、頭がよく、たぶん、
アルバイトでもできる作業を割増残業なしでやる社員がいないという状況です。
バターはあったらうれしいけど、なくても平気というネコ達がふえているのではないかと思います。
結局、物語の最後、頑張りやのネコは、のんびりやのネコと合流して、のんびりとした幸せを見つけます。
ねこはねこであるから幸せというネコたちが、今の20代10代に重なって見えました。そして、ずる賢いエリートキツネ達は、
人間に捕まってしまいました。
でも、キツネの中には、『ガルシア』となってバターを探し、みんなにバターの場所を教える広い心のキツネもいるだろうし、
ずる賢くても捕まらないキツネもきっといると思います。
エリートキツネとのんびりネコのどちらが幸せというわけではないけれど、のんびりネコはずっとのんびり下流ネコであり、
エリートキツネはセレブキツネであるような今の日本の2極化社会をあらわしているようにも感じられました。
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