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さくらと人生観

高橋 輝子



今年もさくら前線が北上中である。
私たちにとって馴染みの深いさくら。“さくら”と聞いて、あなたは何をイメージするだろうか。
春、ピンク色、日差し、月夜、宴会、ピクニック、散歩、卒業式、入学式、校庭、公園、並木道・・・。
さまざまな光景が思い浮かんでくるのではないだろうか。

では、少し質問の主旨を変えて、あなたにとって“さくら”はどのような意味をもたらす存在であろうか。
出会い、別れ、旅立ち、約束、記憶、思い出、時間、年月、人生・・・。
さくらをテーマにした最近の歌謡曲の歌詞からはこんなフレーズを多く耳にする (これは最近に限ったことではないかも知れないが)。
さくらは他の草花や樹木とは違う何かメッセージ性の強い存在だといえる。

実はカウンセリングの中でも『さくらの木』という名で知られる手法が存在する。
カウンセラーがさくらの木の役を演じ、数名のクライアントがさくらの木の元で、架空の人生を演じるという内容のものだ。
もう少し詳細を説明すると、カウンセラー演じるさくらの木の元で、高校三年生という設定のクライアントが、卒業式の日に、 「2年後の20歳にまたこの木の下で会おう」と皆と約束を交わす。
そして、その2年後という設定で皆が集まる。集まったクライアントは思い思いに架空の2年間の出来事を皆に報告をする。 その際、自分が実際にその時代に経験してきた出来事を報告する人もいれば、全く別の、 架空の人物になりきって話をする者もいる。そこには特にルールは存在しない。一通り皆の報告が終わったら、また、 今度は「10年後の30歳の時にまたここで会おう」と約束をする。
そして、10年後という設定で皆がまり、10年間の出来事を報告するのだ。これを90歳になるまで続ける。
一見、ゲームのような、遊びのようなどこかふざけたような内容と受け取れるかも知れない。
しかし、さくらの木を演じるカウンセラーはクライアントの様子をじっと見守っているだけなのだが、その人なりの人生観、 価値観がよく分かるというのだ。

当然、私たちのまわりに存在する“さくら”は感情や意思は持っていない(はずである)。

しかし、戦後60年以上経つ広島の地に『被爆桜』が存在するように、 “さくら”は私たち一人ひとりにとって何か特別の存在価値があるのも事実ではないだろうか。
そして私たちに何かを語りかけているように思えるのだ。それは、希望なのか、絶望なのか、未来なのか、過去なのか・・・。
はっきりとは分からないが、さくらの木の下で、幹に手をあてて空を見上げると、自然と勇気が湧いてくるのである。