高橋 輝子

「今、あなたはストレスを感じていますか?」という質問に対し、6割以上の人が「ハイ」と答えるに違いない。
厚生労働省の労働者健康状況調査によると、仕事や職業生活で強い不安や悩み、
ストレスを感じている労働者の割合は2002年度で61.5%に上る。企業のリストラやグローバル化といった激しい環境変化の中で、
私たちは常にストレスとともに生きているといえる。
しかし、その「ストレス」、あなたにとって良いストレスか悪いストレスか聞かれたら、あなたは明快な答えが出せるだろうか。
ストレスにも実は「快ストレス」と「不快ストレス」があり、適度なストレスは交感神経を目覚めさせ、
判断力や行動力を高めるといわれている。ストレスの名付け親であるカナダの生理学者ハンス・セリエも、
「ストレスは人生のスパイスだ」と述べている。
ストレスは少なくても多くてもいけない。毎日何の緊張感もなく、頭や体を働かせることなく、
ただ漠然と過ごしている「過少ストレス」の状態では、人の心や体を鈍らせ、退化させてしまう。
「適度なストレス」は、人間の行動を適度に活性化させ、快適で張りのある生活を可能にし、生産性も最も高くなる。
一方、「過剰のストレス」や「長期にわたるストレス」の多くは過労や病気をなどの害をもたらすことになる。
では、この「快ストレス」と「不快ストレス」の差とは何なのだろうか。
それはストレスを受けとめる私たち個体の条件いかんによって規定される。同じ出来事、あるいは同じ環境の変化を経験しても、
身体の抵抗力が強い人ならばその状態を跳ね返すこともできるし、バネにしてしっかり成果を出せる人もいる。
それに加えて、私たち個人の人生観や価値観、さらに性格や素質も大きく関係する。
私たちが心身ともに健康で快適な社会生活をおくるためには、
ストレスの原因となる環境そのものを変えることはなかなか難しいが、
そのストレスを受けとめる私たちの心のあり様を変えることは簡単ではないまでも努力する価値があるのではないだろうか。
そのことに改めて気づかされたのは、あるドラマのワンシーンを目にしてからである。
そのドラマは、日本テレビ系の「女王の教室」。小学生の子供がいる家庭であればかなり話題になっていたはずである。
ドラマを知らない方のために少々解説を加えると、小学6年生の教師役である天海祐希は生徒に対して様々な意地悪を繰り返す。
それらのシーンは教育会にも波紋を呼んだに違いない。しかし、その過程の中で子供達が自ら考え行動し、
問題解決への道をつかんでいくというメッセージ性の強いドラマであった。
その中で、生徒から「なぜ勉強をしなければいけないんですか?」と先生に質問を投げかけるシーンがある。
教師役の天海祐希はこう答える。「いい加減、目覚めなさい。勉強はしなきゃいけないものではなく、したいと思うものです」と。
その言葉は続き、「あなた方がこれから生きていく中で、きれいなもの、美しいものを目にしたとき、
『もっと知りたい』『もっと勉強したい』という興味や関心、好奇心を抱くのが人間です。
好奇心を失った人間は猿以下です」と締めくくられる。
「勉強することに価値を見いだす」「新しいことを学ぶことに楽しさを覚える」
ということは私たちが仕事をしていく上でも全く同じではないだろうか。
「やらなきゃいけない」「しなきゃいけない」という「やらされ意識(受け身)」ではどうしても人間はストレスを感じる。
主体的に能動的に考えられたとき、
「適度なストレス」となって私たちに動機付け(モチベーション)を与えてくれるのではないだろうか。
「女王の教室」は大人社会にそんなメッセージを与えているように感じた。
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