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悪戦苦闘!「団塊の世代」のネットワーク作り

田中 慶篤



最近、2007年問題に絡めて「団塊」または「団塊の世代」という言葉がメディアに取り上げられる頻度が多くなりましたが、 私自身も昭和23年生まれで、まさしく団塊の世代の真っ只中にいる人間です。 団塊の世代人口(昭和23年〜25年生まれ)は806万人といわれています。 最近3年間に生まれた人口が約350万人ですから、いかに団塊の世代の人口が突出しているかがわかります。

団塊の世代の「団塊」とは読んで字のごとく「かたまり」ですが、「団塊の世代」は以下のように説明されています。
団塊の世代は第二次世界大戦直後の1947年から1949年にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代である。 世界的にも、前後の世代に比べて極端に人口比が高い。これは戦争から兵士が帰還した際や、 戦争の終結に安堵した人々が子供を作ったためである。 作家の堺屋太一が1976年に発表した小説『団塊の世代』によって登場した言葉である。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より引用

さて、本題の「団塊の世代のネットワーク作り」について、現在、私が直面していることを述べさせていただきます。 私たち消費生活アドバイザーがネットワークという場合、 ごく普通にインターネットのホームページや電子メールを思い浮かべるとともに、 特に大地震や台風などの災害によるライフラインが遮断されない限り、生活するうえで重要な水、空気、電気、 ガスと同じようにあって当たり前と思うかも知れません。また多分殆どの企業や官庁などでも同じだと思いますが、 私の職場でも10年程前からノートの変わりに、ノートパソコンを一人ひとりが使っていることを考えると、 ネットワークのあり方についての固定観念が定着してしまいがちになります。

しかし決してそうではないのだということを、身をもって感じたのは昨年の初め頃からでした。 正月に故郷の長崎で中学の同窓会をした後で、 1月の終わり頃再び関東在住者の同窓会をするために東京駅丸の内側に集合する旨の通知が来たので行ってみたところ、 参加者は通知を出した本人である医療関係の学会に参加するために上京して来た同窓会会長と、 茨城在住の人と私の3人だけだったのです。
そこで、どのような方法で連絡して、誰からどのような返事が来たのかについて、同窓会会長に確認してみたのです。 すると彼が言うには、「葉書を出したが、誰からも返事が来なかった。 奥さんや旦那さんがいるだろうから電話で確認するのも難しいと思った。しかし、多分何人かは黙って集まるだろうと思った。」 というのです。それでやむを得ず3人だけの寂しい同窓会になってしまいましたが、 その時会長から私に「関東地区のとりまとめをやってくれないか?」と依頼され、 「いいよ!」という感じで引き受けてしまったのです。

それから数日後に会長から、手書きの関東在住の同窓会名簿が郵便で送られて来ました。そこには住所、氏名、 電話番号はあるが電子メールアドレスは皆無でした。それで最初に、 自分がとりまとめを依頼された旨の案内文を出さなければと思い、10人程度の手書きの住所録をデータベース化するために、 住所録ソフト“はがきスタジオ”に入力して関東在住者の住所録を作成してみました。 しかしデータベース化するにしては余りにも人数が少なすぎると思い対象を思い切って広げ、北は登別市、 南は大阪府在住の毎年年賀状をやり取りしている同窓生のデータを入力して、20人程度のミニ住所録になりました。
それから葉書に収まる範囲の挨拶、近々都内で同窓会を開きたい旨の文章を作成、宛て先も住所録から印刷してポストに入れた。 普段、同一内容の案内を複数の相手に出す場合は電子メールを使っていますが、 それに比べるとわずか20人前後でも葉書で出すとなると、大変な労力だし費用もかかるものです。 しかし何日たってもレスポンスが全くありません。もし相手が不在であれば、 その葉書は宛て先不明で帰ってくるはずなのですがそれもありません。
やはり片道通行の葉書ではだめかと思い、今度は往復はがきを出すことにしました。しかも、 相手の目を引くように郷愁を誘うようなイラストを入れ、回答の面倒さを無くすためにアンケート形式にして、 該当欄に○印を記入するだけのものに“ひとこと記入欄”を加えて送ってみました。 すると6割程度の人から返信葉書が届きました。しかも同窓会をやることに対しては誰も賛成であることがわかった上に、 “ひとこと記入欄”にメッセージが書かれ、その中で3人は電子メールアドレスが添えられていました。
それでも回答の返信葉書を出さなかった人のうち何人かは、 正月に年賀状が届き自分の子供のことなど近況があれこれと書かれていました。このような状況を目の当たりにして、 「道のりは険しいが決して不可能ではない」という微かな希望が湧いてきたような気がしました。

今年5月末に長崎に帰郷した時、有志が集まりミニ同窓会を開き、同窓会の運営についてあれこれと議論しましたが、 参加者を増やすことに対してこれという妙案は出ずじまいで終わりましたが、 絶え間なく情報を何らかの方法で全員に発信し続けることが重要であることについては意見が一致しました。
それで私はミニ同窓会と帰郷の状況をこちらに住んでいる人たちに伝えるために、A3サイズの大きさでミニ同窓会のスナップ、 故郷の棚田の風景、廃家の庭先に咲いていた白い野バラ、 河口の船着場などの写真と文章をパソコンで加工して壁新聞のようなものを作成して印刷したものを郵便で送ったところ、 電子メールアドレスを持っている人からはお礼のメールが届けられ、「自分も協力するから今年中に同窓会を開いてください。」 とあった。葉書も米国在住者をはじめ何通か来ていたことがうれしかったし、 今秋暮れには関東地区での第一回目の同窓会が開ける環境が何とか整ったような気がしてきました。

最後に、文化や情報インフラが格段に進んだ首都圏などの都市部で育った団塊の世代は別として、 我々地方で育った団塊の世代は趣味や仕事で関わりが無い限り、インターネットや電子メールに接する機会が少なく、 ネットワークも従来の手紙や葉書などのアナログ的な手段に限定される比率が高いようです。しかも核家族化は地方も同じで、 インターネットや電子メール等のIT化が普及している団塊ジュニアと同居していない団塊の世代は、 IT化から取り残される情況になっているのかもしれません。