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宅配便が運ぶモノ

羽利 泉

    

実家を離れて暮らすようになり、母が宅配便で送ってくれた荷物のことがなぜか今になってとても懐かしい。

休みの日にあわせて母が送ってくる荷物の中には、生まれ故郷の名産品が入っていたり、「そんなものは自分で 買うからいいよ」と思うようなモノが入っていたり、しかし、手に取れば、ひとつひとつが言葉にならない何か特別な意味を 持ったモノものばかりだったと思う。

最近では、夜な夜なネット通販で購入する、化粧品や洋服、健康食品が宅配便で我が家に届けられる。しかし、多くの場合、 不在票を手にしてから、平日の夜間に荷物を受け取ることの難しさを痛感する。そして毎回何らかの感動や葛藤がある。

ある日、こんなことがあった。
苦労してインターネット上を探し回って見つけた通勤用の鞄の受け取りを、週末まで待ちきれずに、 夜間9時前後の指定で再配達をお願いした。しかし、仕事の都合で自宅最寄り駅に着いた時には配達時刻になっており半ば 諦めながら自宅に向かっていたところ、この宅配便の事業者の運搬車が近づいてきた。
私は「この車に私の荷物が載っているにちがいない!」と勝手に思い込み、 「止まってくれたらラッキー」とばかりにじっと立ち止まって、ドライバーに熱視線(?)を送り続けた。
するとナント!私の思いが通じたのか、その車が私の前でスピードを落とし、やがて停まった。

ド:「どうしましたか?」
私:「○○町の羽利ですが、今日、お荷物届けていただいてませんか?」
ド:「あー、○○町は僕の担当エリアではないですよねぇ。でもちょっと待ってください。 担当のドライバーに聞いてみますんで」

ハザードランプがチカチカ点灯し、携帯電話で連絡を取ってくれている。

私:「(石井さんって言うんだ・・・・この人)」
ド:「羽利さん、申し訳ないです。少し配達が遅れていてまだおうかがいできていないようなんですよぉ。 9時半ぐらいのお届けになりますが、構わないですか?」
私:「あっ、はい。こちらは全く問題ないです。すみません、ホントありがとうございます」

このドライバーの対応はとてもステキだった。
まず、暗闇で物欲しそうに立ち尽くす私に目を配り、気づいて声をかけてくれたことがまず奇跡的なサービスだ。
そして自分と関係ない荷物についても力を尽くしてくれたこと、私の名前を呼んで話してくれたこと、 そして仲間の配達が遅れていることを詫び、受け取りの私の意向を尋ねてくれたこと。全てにおいて私は満足した。

こうして受け取った鞄は2年経った今、少しくたびれながらも現役で活躍している。商品がこのような経緯でやってきたことを、 ネット上のショップの店長さんにメールで伝えたところ、自分達の商品がとても大切に配達されていることを知り、 メールを通して2人で喜びを分かち合うことができた。そして、今でも近所で石井さんの車とすれ違うたびにあの時を思い出す。

その一方で、がっかりすることもある。
いつも20時〜21時の時間指定で再配達をお願いをすると、20時ぴったりに不在票が入っていて、10分ほど遅れて帰宅し、 慌ててドライバーの携帯電話に直接電話をしても、もう営業所に戻ってきたことを口実に断られることが何度もあった。
「やっぱり早く仕事を終えて帰りたいのかな・・・」と残念な気持ちと同時に苛立ちが湧いてくる。

残念ながら、このような理由から特定の通販会社の荷物はなかなかすんなり受け取ることができない。
商品には不満がない、出荷も迅速だ、再配達の予約を受け付けるコールセンターの応対はさほど問題はない。
でも残念ながら、担当のドライバーを変えて欲しい、配達してくれる配送業者は指定させて欲しいと思うこともある。

インターネットショッピングという、どこか無機質でシステマティックな商取引でも最後の最後には生身の人と人の コミュニケーションが介在する。そこには感動にも失望にも変わりうる瞬間が確実にある。

私がリピートオーダーしているいくつかの会社は、商品を包装している箱に、お客様への大切な荷物を運ぶ配送業者への ねぎらいや感謝のメッセージを記している。ネット通販で急成長した会社だが、その理由が何となくわかるような気がした。 見えない相手に商品を送り届ける、最後の瞬間に託す思いが伝わってくる。

母からの荷物は今では年に数回、数える程度になった。
あの頃と、何が変わっただろうか?
受け取る側の私の時間的な余裕のなさは、確かにあの時とは違う。
同じサービスから思うものも違う。しかし、宅配便サービスは、送り手の心も届けるサービスであるということは変わっていない。

今、宅配便はすっかり、私のライフライン(?)になっている。
ドライバーの方には安全に迅速に配達すること以外にも求められることが多くなっているだろう。 「いつもどうもありがとう」と玄関先で笑顔で言える、そんなお付き合いがしたいものだ。