高橋 輝子

2,3日雨の続いた東京もようやく今日は朝から太陽が顔を見せている。気持ちのよ
い土曜日になりそうだ。夕方にはディズニーランドのある舞浜で同僚の結婚式もあ
る。私は二次会に招待されていた。太陽も祝福しているのかしらと少し幸せな気持ち
になりながらも、参加するかどうか悩んでいる自分がいる。実は一昨日から体調を崩
し、今朝も目覚めはあまり思わしくないのである。行くかどうかは午後の体調と相談
しようと、とりあえず美容室に行くことにした。
美容室へは3ヶ月に1度の割合で行っている。女性にしてはやや期間をあけすぎの感
があるが、私は行く時はいつもフルコースでオーダーするため、時間もコストもそれ
なりにかかるのだ。ちなみにフルコースとは、カット、カラー、パーマ、トリートメ
ントのことで、時間はゆうに4時間を超えるし、料金も2万円近くかかる。オーダー
を減らして、もう少しマメに通うという選択肢もあるのだが、なかなかそれはそれで
悩みの種である。
主人にも前に一度、私の頭にかかる時間と料金について話したことがあるが、かなり
不審がられた。時間30分、料金3千円の主人の頭と比べたらそれは無理もない。た
またま我が家は共働きであるから整髪代について高い安いの議論にまでは発展しない
が、もし私が専業主婦になったらどうであろうか。他の出費は抑えてでもやはりフル
コースのオーダーにするのであろうか。あげくの果てには「あなたの髪は私が切る」
とでも言い出しそうな自分を思い描きながら、世の中の家庭ではどのように整髪代を
工面しているのだろう、とどうでもいいことを考えながら美容室へ行く準備をする。
行きつけの美容室は、テラコッタのタイルに覆われたフロアに白を基調としたインテ
リアがセンスよく並び、清潔感にあふれている。店員も若い人が目立つ。同世代から
見れば流行のファッションといえるのだろう、ピエロのような衣装を身にまとっている。
この表現がすでに世代の違いなのか・・・。
この店は予約制であり担当指名制である。しかし、私は一度も予約を入れたことがな
いし、担当を指名したこともない。予約を入れるとその時間に他の行動が制約される
ようで嫌だし、指名をすると他の店員に申し訳ないという気分になってしまうのだ。
いわゆる私は困った客の一人だと思う。そんな私をいつも笑顔で迎えてくれる、だか
らまたこの店に来てしまうのだ。
今日もふらっと来た私を他の客同様、丁寧に出迎えてくれた。今回は誰が担当してく
れるのかしらと期待と不安で待っていると、どうも見覚えのない女性がやってくる。
と同時に「ヤバイかな」という胸騒ぎが走る。さすがの私も新人だけには担当された
くない。しかし、指名していない以上、嫌とはいえない。だが、その不安も徐々に解
消されていく。とにかくカットの手さばきが見事なのだ。そんなに細かいところまで
切らなくてもいいのにと思うほど丁寧に丁寧に、髪の毛の一本でも逆らうものなら容
赦なく切りすてられていく。私の髪を生き物のように自由自在に操っているのだ。ま
るで本物のピエロのように。
私は施術中、ほとんど美容師さんと話をしない。勿論、話しかけられれば返答はする
が深追いはしない。昔から髪をいじられると眠くなる習性があるので、美容室にいる
半分以上の時間を寝て過ごす。とてもリラックスできるひとときなのである。
今日もその予定だったのだが、なかなか寝付けない。その理由は、隣に移動してきた
女性客にあるようだ。とにかく機関銃のようにしゃべくりまくっている。私が場所を
移動したい気分である。よくもそんなに見ず知らずの人に話すことがあるものだなと
半ばあきれながらも耳に入ってくる会話にだんだん吸い込まれていく。どうもその女
性客は主婦らしく、夫の悪口をもらしている。それを美容師さんは「そうなんです
か、そうなんですか」と応答している。どこの家庭も大変だなと思っていると、いつ
の間にか今度は夫の自慢話に変わっているではないか。あれ?あれ?どの時点から話
が急展開したのだろうかとさらに耳をそばだててみると、どうやら今日の美容室代は
夫からの母の日のプレゼントらしい。「優しいご主人様ですね」と共感する美容師さ
んの言葉にさらに夫の自慢話が続く。興味本位で隣をちらっと見ると、イキイキとし
て艶やかな肌が印象に残る女性が座っていた。ふと店内にも目を配ると、私ともう一
人の男性客を除いては、ほとんどの客が美容師との会話を楽しんでいる。会話という
よりは、客の話を美容師がきちんと聞いてあげているという表現の方がふさわしい。
知っている知っていないはさておき、美容師さんはカウンセリングの手法である「傾
聴」を実践しているのである。
美容室には髪を整えるという目的の他にもどうやら別の機能もあるらしい。かくいう
私も4時間にわたる施術を終え、キレイに整えられた内巻きの髪を眺めながら「やっ
ぱり二次会に行こう」と足取り軽く美容室をあとにしたのだった。
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