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”石”になっていること、ありませんか?

高根沢 文子



カウンセリングを学ぶ中で、先日「3つの聞き方」という実習を受けました。実習の内容と そこから感じたことを書いてみたいと思います。

まず1つ目の実習は、「石になって聞く」というものでした。
2人組になり、向かい合って座り、相手の話を数分間「石になって聞く」のです。「石になる」 ということは、相手と視線を合わさず、身体を動かしたり、声を出すこともできず、まさに”石” になったつもりで相手の話を聞くのです。役割を交換し、石に向かって話す体験もしました。
石となって聞いた時、なんとも相手に申し訳ない気持ちになり、自分が悪いことをしている ような感覚がありました。相手が一生懸命に話しているのに、それに何の反応もできない 辛さは、想像以上でした。
石に向かって話した時は、手ごたえがなく、自分の話が無意味であるような寂しさがあり ました。

2つ目は、「身体を動かして聞く」というものでした。
今度は、うなずきや身振り手振り、顔の表情を変える等の動きは許されましたが、声を出 してはいけないというものでした。
自分が聞き役の時、「うなずける幸せ」を噛み締めました。これは、石になって聞いた時に 感じた罪悪感から開放されたからだと思いました。
しかし、声を出せないので、話の途中で自分の興味のあることが出てきても、質問等ができ ず話が進んでしまったため、若干のストレスは残りました。

3つ目は、「身体を動かし、声も出して聞く」というものです。 これでやっと通常の会話と同じように聞く事ができました。2つ目の実習で感じたストレス からも解き放たれ、とても楽しく話を聞くことができました。

1つ目の実習の数分間は、時間が経つのがとても長く感じられましたが、3つ目の同じ 数分間は非常に短く感じられました。

3つの実習から、聞き方に制約を受けたことで、聞き方に含まれる要素を再認識する ことができました。要素とは、うなずく等の身体的ジェスチャー、アイコンタクト、笑顔、 質問、相づち、間、声の高さ・抑揚・スピード等です。別の言い方をすれば、メラビアン の法則(注1)の要素である、言葉、声の表現、顔や身体の表情です。
これらは相手の話に興味があり、反応していることを表している聞き手のサインだと 思いました。逆にそれらの要素がないということは、相手の話に反応していないこと、 つまり、「聞いていない」ことと同じともいえます。

この「聞いていない」ということを、日常生活でも知らず知らずのうちにしていること があると気づき、ハッとしました。
例えば、職場で誰かが、特定の人を名指しせずに質問した時、その質問は聞こえているの に反応しなかったことがありました。その時、反応しなかった私は、話を「聞いていない」、 それは結局”石”と同じだったのだと思いました。

ではどうしてその時、何も反応できず”石”になってしまったのか考えてみました。
「自分の知らない、もしくは不得意分野の質問であったため、すぐに回答できなかった」
「回答を考えているうちに誰か他の人が回答してしまったのでそのまま何も答えなかった」
「急ぎの用件を抱えていたので面倒だと思い、誰か他の人が回答するだろうと頼ってしまった」
「何か他のことを考えてボーとしていたので、聞き流してしまった」

いずれの理由でも、反応しなかったことに変わりはありませんし、私のこころの中では 様々な考えがあったとしても、それを何も表現しなかったことは事実です。
もちろん全てに反応し、全てに回答することは不可能だと思います。しかし、”石”になって 聞いたり、”石”に向かって話すことの辛さを体験すると同時に、話に反応できる喜びも知った 今、おざなりにしてしまった聞き手のサインを、これまで以上に表現しようと思いました。

このように考えてきた中で今までの私を振り返ると、「忙しい」を理由にイライラし、気持ち に余裕を失い、周りの人々のこころや、自分のこころにさえも反応せず、前だけを向いて 転がる”石”となり、大切なものをたくさん置いてきたような気がします。
これからは、少しずつでも、1つ1つの気持ちやこころと丁寧に向き合っていければと思います。

(注1)アメリカの社会心理学者「メラビアン」が提唱した、 コミュニケーションの伝わり方の法則。
各要素の割合は、言葉:7%、声の表情:38%、顔や身体の表情:55%。