田中 慶篤

春の陽光を遮る新緑の木々が生い茂る長い急な山坂道を抜けて降り立つと、美しくそして懐かしい山里の風景に遭遇し、私は暫くその場所に立ち止まってしまっていた。そこには私が過ごした少年時代である昭和30年代の、当時何処にでもあったような日本の農村の原風景が残されていたのであった。
先日、東武鉄道が主催するハイキング大会「外秩父七峰縦走」に参加したときのことである。これは桜の開花時期に合わせて、毎年4月中旬に開催されているもので、池袋駅と埼玉県寄居駅の間を走る東武東上線沿線の小川町駅をスタートして、7つの山を越えて終点の寄居駅をゴールとする42.195KMのフルマラソンと同じ距離の過酷なハイキングコースである。
まず初めに、農村に抱くイメージは過疎や廃村などのマイナスイメージが一般的に持たれている一方で、バブルがはじけた90年代初め頃からテレビや雑誌などのメディアに、都会の暮らしに疲れたサラリーマンをターゲットに「田舎暮らし」などのタイトルで特集が組まれているのを目にすることがある。また農村について、社会学的には農村社会と都市社会を比較して、下記のような分類がされている。これは今から100年近く前に分類されたものであるが、基本的には現代の農村社会と都市社会についても変わらない部分があると考えられる。
・都市社会と農村社会
<農 村>
1. 職業・・・農民を主体とする
2. 環境・・・自然が優位を占める
3. 社会の大きさ・・・同条件では都市より小
4. 人口密度・・・小
5. 人口の異質性等質性・・・人種的・社会心理的に等質
6. 社会的分化と成層・・・比較的単純な構成を持つ
7. 移動性・・・地域的・職業的及びその他の社会的移動が少ない
8. 相互作用の型・・・接触範囲も狭く、1次的なパーソナルな関係が多い
<都 市>
1. 職業・・・非農業的職業の人からなる
2. 環境・・・人間の作った環境が支配的
3. 社会の大きさ・・・同条件では農村より大
4. 人口密度・・・大
5. 人口の異質性等質性・・・人種的・社会心理的に異質
6. 社会的分化と成層・・・社会的分化が大きい
7. 移動性・・・移動は農村より激しい。農村から都市への流れが多い。
8. 相互作用の型・・・接触範囲広く2次的接触が支配的、関係は非人格的
注)「社会学の基礎知識」有斐閣より引用
P.A.Sorokin & C.C.Zimmerman,Principles of Rural-urban Sociology,1919による。
さて、ハイキングコースの秩父連峰の山間に位置する隠れ里のような幾つかの村落を目にしたときは言葉に表せないほどの素晴らしい風景であった。桜の開花時期に合わせたイベントではあったが、曲がりくねった街道沿いに立ち並ぶ桜の大木(たぶんソメイヨシノと思われる)の小枝いっぱいに咲き乱れる花々、街道から民家へつなぐ小道の脇に植えられたピンクと白い花びらが混じった枝垂れ桜、畑の斜面に咲きほころぶ桃の濃いピンク色をした花びらが村落全体の風景を彩っていた。
私がこの風景に胸を打たれた理由は、このような農村が今でも日本に残っていたことの驚きであった。特に東秩父に位置する「萩平」という村落の風景は自分が少年時代を過ごした昭和30年代の農村の原風景そのものであった。
今まで自分の心の中では、1964年の東京オリンピック、或いは1970年の大阪万博以降、東京、大阪などへの人口集中により都市化が進む一方で、農村の過疎化、廃村が進んで共同社会的な村落が崩壊したことで、このような風景は消え去り現実には存在し得ないものと思い込んでいた。
どうして、このような形で村落が21世紀の現在でも残っているのかについては、さまざまな見方や考え方があるかもしれないが、自分なりには秩父の地理的状況にあるのではないかと思う。秩父は埼玉県でありながら、埼玉都民と揶揄されるように東京のベッドタウン化した埼玉の他の地域と違って、北西部にあり、都心から見るとかなり奥地である。従って、西武鉄道や東武鉄道で池袋から1時間30分前後の距離にありながら、ハイキング、秩父夜祭などの観光客以外は秩父まで足を運ぶ人々、都内へ通勤するために住まいを移す人々も駅の周辺は別として少ないと思われる。従って、秩父は埼玉県の中では東京への依存度が比較的低く、歴史的に独特の文化圏、クローズドされた商業圏にあり、独立性が強い地域である。しかも農村を構成する人々からは都心は近いために、ギラギラした華やかさを持ち窮屈な都市社会を横目で実際に見ながら、農業の厳しさはあるものの華やかさやはないが自然環境に恵まれ、精神的にゆとりのある農村生活を楽しんでいるように思われる。
今まで海外の農村、特にイギリスやフランス、カナダの公園のように美しい形の農村を見て思ったことは、日本の農村は何てつまらないんだろうと思っていたが、今回の体験はその思いを覆すものであった。またその国の豊かさを測るモノサシの一つとして、農村を見てこそ真の豊かさが分かるのではないかと、今回のハイキングを通じて考えた次第であった。何故ならば、このような美しい村落を長きに渡って維持するためには、その村落に住む人々の都市生活者にない心のゆとりが必要で、美的感覚などの教養、経済的なゆとりがなければ持続不可能だと考えられるからである。
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