トラジャ通信 
インドネシアスラウェシ島マカッサルに赴任している 青木 秀夫さんからのお便り公開のページです。

もどり


No.6 2002年5月1日 「村長選挙」

 皆さん、お元気ですか?日本は「ゴールデンウィーク」で鯉幟の季節ですね。こちらは本格的な収穫が始まり、農繁期に突入しました。農園としては、この1年間の収入が決まる最も大切な時期です。収穫期のピークが一段落する7月の下旬には、一時帰国を予定していますので、半分インドネシア人になった青木と一杯やってくれる方には、ぜひお会いしたいと思っています。

 さて、今回は地元の村長選挙について書いてみます。インドネシアの行政単位は、大雑把に説明すると、国の下に、州があり(私の住所は Sul-Sel 南スラウェシ州)、その下に県があり(Tana Toraja トラジャ県)、郡(Kec.Buntao Rantebua ブンタオ・ランテブア郡)、村(Desa Bokin ボキン村)となっているのが、一般的な田舎の場合です。今年トラジャ県内全域で、村長選挙が実施されることになり、農園の周辺(農園は住所のボキン村を含め4村に接しています)でも順次行われています。

 村長の任期は5年で、5年前の選挙の時には、郡・村の分割が行われたのに対し、今年は合併選挙となり、各村で住民が熱くなっています。ボキン村の選挙を見に行っていいかと社員に聞いたところ、何かあるといけないので、止めろと言われました。まず、村長になりたい人は立候補しなければなりませんが、誰でも立候補できるわけではありません。地元の長老格(元村長など)が委員長を務める選挙委員会が、立候補予定者の学歴、地元でのステイタス、財産、過去の地元への貢献度などを検討し、認められた人だけが立候補者になります。この時点で、選挙委員会を含めた立候補予定者同士の話し合いが行われ、最終的な立候補者が決定します。立候補者は決められた供託金(選挙の実施に使用される)を支払わなければなりません。

 立候補者が決定すると、選挙当日に向けて、各種の選挙活動が始まります。選挙活動と言っても、日本のようにポスターを貼ったり、車で村中を回ったりはしません。葬式(ペスタと言って、トラジャでは最も大切な行事)に顔を出し、多額の寄付をして演説する。集会を開き、宴会を催す。現金を支援者に配る。親戚筋から脅しをかける。選挙当日の飲食・送迎を約束する。などの行為が一般的に行われます。(正式には違法行為も含まれています)

 選挙日自体も、なかなか決まりません。選挙委員会が決定し、村民に知らせるのですが、上述した立候補者の絞込みに時間がかかったり、どこかの家のペスタ(葬式)の日程や、近隣の村の選挙日との調整が行われます。農村部ですので、平日が多いようです。さて、選挙当日ですが、投票所には各候補者の仮小屋が建てられ、飲食が振る舞われるのが普通で、候補者によっては、車での送迎が行われます。投票権は住民カードを持っている17才以上の村民に与えられており、午前10時頃から夕方まで投票が行われ、その日の内に結果が判明し、当選者は後日県知事からの認定書が交付され、正式に村長に就任します。

 村によって違うようですが、投票箱が各候補者毎に用意(候補者が5名ならば、5個)されており、投票箱の設置場所は一応全体が幕で囲われているものの、足跡の多さで、誰が勝っているか判ってしまう、というような村もあるようです。また、村と村の境目に住んでいる人には、両方の村から選挙に来るよう連絡があるようで、正しい有権者数もよくわかりません。最終的には、お金を多くばら撒いた人間が勝つ確立が高いようで、インドネシアの国としては、民主化、地方自治が強調されているものの、まだまだ本当の民主化にはなっていないようです。

 こんな選挙ですが、決まった以上は村長さんですから、農園を運営して行くためには、仲良くしていく必要があります。(もちろん、当社に好意的な村長もいれば、寄付をせびるだけの村長もいるのです。)外国人の農園責任者(私のこと)は、一応地元の名士ですから、地方行政の長とのお付き合いも仕事なのです。

樹(赤実)


No.7 2002年5月23日 「大切な日用品の紹介」〜懐中電灯、ロウソク、空き瓶〜

 日本はそろそろ梅雨の季節ですね。季節の変わり目ですが、皆さん、お元気ですか?ここトラジャも季節の変わり目で、雨季の終わりが近づき、雨の時間帯が夜中から明け方へと変わり、雨量も少なくなり、乾季になりかけています。日本と同く季節変化が早く、平年よりも乾季になるのが早いようです。

 農園は収穫のピークとなり、圃場は真っ赤な実(チェリー)が緑の枝葉の間で目立つようになり、収穫が遅れて落ちないかと心配する毎日が始まりました。収穫したチェリーは、その日の内に脱肉(赤い果肉を剥くこと)しますので、精選工場の脱肉機(パルパー)は夜中まで動いています。集買部門でのコーヒー(パーチメント)の買いつけも、同様にピークが始まり、毎日夜中までパーチメントが農園内の工場に入荷して来ます。よって、工場は既に24時間3シフトの体制で、5台の乾燥機が回りつづけています。

 「日雇いの人数は足りているか」、「トラックはちゃんと走っているか」、「発電機は故障しないか」、「乾燥機の燃料の灯油は在庫があるか」、「水源からの水は順調に流れているか」、「新植した苗は死なないか」、等などを心配しながら寝る日が、約2ヶ月続きます。

 今月は、日本で生活している時はあまり気にならなかったり、必要性を感じなかったりするものの、こちらでは、頻繁に生活の場面に出てくるものについて書いてみます。

※ 懐中電灯/ロウソク
 農園では発電機を使用しているので、急な故障の場合くらいですが、ランテパオの町やマカッサルの街では、毎日のように停電があります。仕事でコンピューターを使っていてセーブして無かったりすると、データが吹っ飛んで大変です。(私のノートパソコンはバッテリーでバックアップされていますが、社員が使っているデスクトップは旧式で、無停電装置も付いていません)食事の時などは、ロウソクでも風情があって良いのですが、お風呂やトイレの時はとても困ってしまいます。

※ 空き瓶
 主にウイスキーの空き瓶で、冷蔵庫の扉に入り易いタイプで、飲料水を冷やすのに使います。水源の水質はとても良く、きれいで、以前地元の大学で水質検査をしたところ、大腸菌や一般細菌も非常に少なく、飲料用として「適」との評価を受けていますが、寄生虫や昆虫の卵があるといけないので、飲み水は、湧水からパイプでひいた水を一度沸騰させて、ぬるくなってから空き瓶に移し、冷蔵庫で冷やして飲んでいます。だから、空き瓶は貴重な生活用品なのです。(という理屈をつけてウイスキーを飲んでいるのです。)


No.8 2002年9月8日 「しばらく通信できなかったのは...」

 日本は厳しい残暑と、台風の影響による大雨だそうですが、そろそろ秋の色が見えてくる時期ですね。
季節の変わり目ですが、皆さんお元気ですか?7月末に一時帰国した時にお会いできた皆さん、
お忙しい中、お時間を取ってくださりありがとうございました。
お会いできなかった皆さん、来年お会いできるのを楽しみにしています。

こちらは、収穫時期も終わり、来年に向けた施肥などの農作業の時期に入りましたが、まだまだ乾季が続いており、今年植えた樹や去年植えの若木は、水不足で元気がなくなってきています。それでも時期外れに少しだけ降った雨のおかげで、8月中旬に例年に無く早い大開花があり、来年の収穫への期待が出てきました。

さて、「トラジャ通信」ですが、6月中旬に自分の注意不足から盗難に遭い、車上置き引きにカバンを取られ翌日、
カバンは出てきたものの、サイフとコンピューターを盗まれたため中断していましたが、一時帰国時に中古コンピューターを購入し、Eメールも再登録しましたので、またこちらの生活の様子を発信していきたいと思います。

まず、6月に盗難に遭った時に駆け込んだ警察の対応について書いてみます。
13日(木)の平日で、午後2時頃でしたが、ちょうどワールドカップの真っ最中で、ランテパオ警察署では警官が
みんなでテレビ観戦しており、私が盗難に遭ったと申し出たときも、誰が担当して調書を作るのか、みんなで顔を
見合わせて、面倒がっていました。
それでも、顔見知りの警官が調書を作って、近隣の警察署への通知を手配してくれましたが、直ぐに誰かが現場へ
行くとか、町で検問(泥棒はバイクで逃げました)をするとかのアクションはありません。

あの調書も本当に他の警察署へ通知されたのかどうか判りませんし、現在までの3ヶ月間に、警察からは何の連絡もありません。まあ、こちらも調査費用をあげていないので仕方ないのですが・・・・(調書作成も小遣いをあげるのです)

そうなのです、こちらでは顔見知りの警官を通じて調査費用としての小遣いを渡さないと、一般的な窃盗程度では、
まともに調査はしないのです。ましてや、傷害事件でもなく、被害者は金持ち(と思われている)の外国人だし、
犯人は村の知り合いかも知れないし・・・・・なにせ、家族・親戚がやたらに多い土地ですから、犯人が仲間の警官の
遠い親戚の息子だったり、自分の部落の隣人の親戚だったりする可能性が、十分に考えられるのです。

それでは、こちらの人達は盗難にあった時はどうするかと言うと、@ まず、諦める。A 同じ物を手に入れる。(他から盗むか、盗品を買う)のが普通で、よほど高価な貴重品の場合は、地元の裏の世界に顔の利く、元泥棒の親分(なぜか社員の親戚筋だったりする)に小遣いを渡し、現物を取り返した場合の成功報酬額を提示して、調査を依頼するのです。つまり、盗まれたものを買い戻すと言うことです。

ですが、最近はこの方法がうまく行かなくなってきた、と言うのです。
その理由は、犯人が地元の不良ではなく、不景気と民族・宗教抗争のために他の土地から入り込んできたトラジャ人以外の人種の場合が増えたのと、今回のように、バイクを使って逃走するなど、交通の発達によって、盗品を直ぐに大きな街へ持っていって故買商に転売してしまうからです。
今回、私も地元の元泥棒にコンピューターの形状を伝え、捜索を依頼しましたが、成功報酬金額が不足なのか、既に街へ転売されてしまったのか、現在までのところ、何の情報もありません。

ということで、平和な田舎だったここトラジャも、前回の赴任時(’89〜’93年)と違い、経済発展と民主化によるインドネシア全体の変化の中で、だんだん都会化し、危険が増していると言うことを身を持って体験し、もう一度緊張感を持って生活する必要があると感じています。

今回はこの位にして、また書きますので、ご愛読よろしくお願いします。

宿舎の前のブーゲンビリア


No.9 2002年10月27日 「MAMASAへの出張」

 日本の10月は記録的な暑さが続いた後、急に寒くなっているようですが、葡萄、柿、栗など秋の果物が
おいしくなる季節ですね。皆さんお元気ですか? こちらは、まだ厳しい乾季が続いており、コーヒーの樹は本格的な雨が待ちきれずに、極少量の降雨で既に大開花をしました。町にはマンゴが出回り始めましたので、もう直ぐ雨が降って、雨季になると思います。

私はというと、乾季の土埃に遂に咽喉をやられ、久しぶりに40度以上の熱を出して、一週間程ダウンして、また3kg痩せました。 ランテパオの町のお医者さん(産婦人科)へ行って、解熱剤と咽喉の薬とそして強力な抗生物質を処方してもらい、なんとか仕事は休まずに済みました。 (幹部社員は、ふらふらして危ないから午後は寝ていろ、と言ってくれました)

ところで、今回は9月の初めに出張に行ったMAMASAという場所の話を書いてみます。
私が住んでいる南スラウェシ州トラジャ県の主要民族であるトラジャ族は、民族学的にはサダン・トラジャ族と呼ばれ、他に、ママサ・トラジャ族 (ママサ県)、バステム・トラジャ族(ルー県)がおり、全部で三族に分かれていると言われています。MAMASAは、トラジャ県の西側の山塊を越えた所にあり、山越えのルートは徒歩のみで、三日かかります。

今回はMAMASA地域のコーヒー産地と市場の状況視察が目的の出張ですから、車(四輪駆動)で3時間半南下し、2時間西へ行き、3時間北上するという、一日がかり約350kmの迂回路を走りました。 (と言っても、車の場合はこれが普通のルートですが・・・)観光地のため、南スラウェシ州の中では比較的に経済発展をしているトラジャへの車が通れる道路が整備されていないため、同じトラジャ族でありながら、MAMASAは地域経済が低迷しており、 農民は換金作物であるコーヒー(他には、カカオ、バニラ、クローブ等)に収入を頼っています。

MAMASAはトラジャ同様コーヒーの産地なのですが、当社のような大手の会社や農協が直接集買はしておらず、農民が2,000〜5,000本程度のコーヒー樹を育てて、 その収穫したチェリーをパーチメントに加工し、市場に持ち込んで来て仲買人に売る、という極一般的な流通パターンです。仲買人は集めたコーヒーをマカッサルの輸出業者に持ち込むのですが、 現在の世界のコーヒー相場状況(安値低迷)では、当然価格は安く、従って農民は良いコーヒーも悪いコーヒーも同価格で仲買人に買い叩かれ、 その結果仲買人も農民もコーヒーの品質にこだわらなくなってしまいます。

品質が低下するとMAMASAのコーヒーの評判が落ち、後々価格の上昇が難しくなり、自分たちの首を絞めることになるのですが、「だから品質の良いコーヒーを作らなければいけないよ」というような話を 農民を集めて話すと、彼らからは「トアルコ社が良い値で買ってくれればきれいなコーヒーを作る」という返事だけで、自分たちで状況を改善しよう という気はまったく無いのです。

このような状況ですから、当然コーヒーの樹の世話はおざなりで、剪定や施肥はまったく行っていませんから、3,4年で収量が落ちてきます。 そうすると彼らはより山奥の森を焼いて(原生林の焼畑)、コーヒー畑を奥へ奥へと移していくのです。当然、市場(町)に近い山(標高が低い)から山奥へ入っていくので、 自然と標高が高くなり、コーヒー自体は良質になっていくのですが、馬がやっと通れるような山道を半日かけて市場まで売りに来なければならず、 パーチメントはカビたり、醗酵したりして、品質は落ちてしまいます。

このように、コーヒーの品質と価格の問題(経済問題)がベースにあるのですが、より深刻な問題は、原生林の焼畑による環境破壊なのです。 原生林を焼畑することによって、当然山の保水力は低下し、乾季には水不足が起こり、直射日光が表土を傷め、その後の雨季には、当たり前のように土砂崩れが発生します。 結果として、彼らが頼るべき川の水は汚濁し、衛生問題・健康問題へと移行していきます。

原生林は、基本的に州や県の森林局の管理下にありますが、役人は馬がやっと通れるような山道を徒歩で半日もかけて見回りはせず、 必然的に地元の有力者である村長、部落長の管理ということになるのですが、彼ら自身が有力コーヒー農民ですので、原生林の焼畑は止めようが無いのです。

では、一人の現地会社員として、また一人の人間として、彼らに対して何が出来るのでしょうか?焼畑を繰り返さずに、コーヒーの樹を管理して収穫量を確保する方法を 教えることはできますが、だからと言って良い品質のコーヒーを当社が高い価格で買ってあげることは約束できないし、良い品質のコーヒーを作ればマカッサルで高く売れるよ、 と言うことも現状の世界のコーヒー相場からは言えません。

焼畑は、環境を破壊し、自分たちの生活に悪影響を及ぼすと教えることは出来ますが、彼らの収入の問題が解決しない限り、聞く耳は持たないでしょう。 と言うことで、今回はコーヒーの産地調査の出張に行って、実際の現場での環境問題を考えさせられてしまいました。では、また。



MAMASAの市場

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