■ トラジャ通信■

トラジャ通信 TOP               CS研究会 TOP 

20 英雄PONG TIKU(ポンティク)


    日本は、まだ寒波が雪を降らせているようですが、桃の節句も過ぎ、
これからどんどん暖かくなって来るのでしょうね。
今年のスギ花粉は少なめだそうですが、皆さん如何お過ごしですか?
関西では鳥インフルエンザで大変そうですが、インドネシアではデング
熱が大流行しており、ジャワ島を中心に約2万人が感染し300人以上の
死者が出て、マカッサルでも感染者が出始めたとの事です。

今回は、トラジャの英雄について書いてみます。
彼の名前は、PONG TIKU(ポンティク)。
祖国と民族独立のために戦った英雄として、現在も語り継がれ、尊敬され
ています。ポンティクは、1846年に南スラウェシ州タナトラジャ県リンディン
ガロ郡パンガラの貴族の家系に生まれました。16〜17世紀に世界の海洋
交易が盛んになった頃、ゴワ王国の首都であったマカッサルは香辛料の輸
出港として栄えていましたが、その後皆さんご存知の通り、スマトラ、ジャワ
同様ここ南スラウェシもオランダの支配下で植民地となっていったのです。

1800年代の南スラウェシは、ゴワ王国、ボネ王国、ルウ王国、シデンレン
王国等、マカッサル族やブギス族の部族小国家が各地方を支配しており、
トラジャ族も複数の貴族・祭主の下に分割統治されていました。
ポンティクが生まれ育ったパンガラ地域は、コーヒーと金鉱石の産出で南部
のシデンレンや東部のルウなどの商人と交流があり、父親から政権の移譲
を受け祭主となった彼は、コーヒーの生産に努力するなど住民の経済振興を
図りました。

しかし、コーヒーが有名になるにつれ、ブギス人の商人たちはその利権を守る
ために私兵を雇うようになり、トラジャは商人の軍隊に占領される危機に陥り、
トラジャ族も、シデンレン軍側とルウ・ボネ軍側とに分かれ、同族同士でコーヒ
-戦争を戦ったのです。その後、トラジャでは同族間の戦いが続く中、1905年
にボネ王国がオランダに滅ぼされ、ゴア王国も風前の灯火となったのです。
このオランダ軍の脅威を前にトラジャ族の祭主たちは大会議を開き、同族間
の抗争を停止し、一致団結して敵にあたる事を決め、ポンティクが攻撃軍の
司令官に決定したのですが、実際にはオランダ軍の侵攻に際して、他の祭主
たちの防戦は無く、ポンティクだけがオランダ軍司令官に対し、「私達の独立
を奪う目的のために私達の国を蹂躙する敵と戦う」という内容の手紙を送り、
徹底抗戦したのです。

現在でもトラジャ北部は道路事情の悪い山深い土地ですが、その山岳部の要
所要所に要塞を築いての抵抗戦は、オランダ軍に多数の死傷者を出す被害
を与えたのです。攻略に失敗したオランダ軍は和平交渉に乗り出すのです
が、実は謀略で、ポンティクは一旦捕虜になってしまいます。
しかし彼はオランダ軍の厳重な監視下において母親の葬儀を執り行い、その
最終日に逃走し、ゲリラ戦を続けたのです。最終的には、オランダ軍の手先と
なった元部下の案内で、1907年6月30日に逮捕され、7月10日朝ランテパオに
おいて、植民地支配に抵抗した愛国者として銃殺の刑に服したのです。

オランダの植民地支配が強かった時期は、ポンティクの名前も
封印されていたのですが、第二次大戦で日本軍が引き金となった
アジアの独立に伴なって、ポンティクをはじめとした
インドネシアの民族の英雄達が世に知られるようになったのです。